私はソ連ゲーム→ロシア革命とハマっていったんですが。
その後はキーマンを一人ずつ決めて20世紀ロシア史を履修してるんですよね。
ベリヤ(1953年没)とスースロフ(1982年没)とあとプー/チ/ン(←いにしえのインターネットしぐさ😂)を抑えると、革命から現在までがひと繋ぎで学べまして。
今日はその途中で寄り道した、ジューコフの話です。
そもそもジューコフって誰
ざっくり言うと、ソ連最強の軍人です。
「さいきょう」という言葉には魔力があります。中二心にビンビンきます。
前回のベリヤ回(2)で「一度ジューコフ沼にハマりかけたが、ジューコフが看護師さんとデキちゃって妻を捨てた件を知ってそっ閉じした」と書いたあの人です。
糟糠の妻を捨てんな、って思うんですが😂この人のキャリアの上がり方がとにかく面白いので、そこだけ書かせてください。
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入口はノモンハン(=ハルハ河戦)
ジューコフは大粛清まっさかりの1930年代後半、モンゴルのあたりにいたんですよね。
そこで1939年、ノモンハン事件が起きます。日本史にピョッと出てきて小テストでめっちゃ書かされるから、「細けぇことは知らないけど手が覚えてる」あの事件。
なぜ戦いが起きたかというと——国境線でモメたから。
地図には国境線がピシッと引いてありますけど、実際の草原に線が引いてあるわけじゃない。日本/満州国は「ハルハ河が国境」、モンゴル/ソ連は「そこから十数km東が国境」と主張がズレていた。
その"あいまいゾーン"で両軍が遭遇して、日本軍が「いっちょ揉んだるわ」と仕掛けた。
結果、ジューコフに戦車でボコボコにされました。 日本軍の完敗です。
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で、この負けが真珠湾に繋がる(という説)
私はこれを「歴オタのIFトーク」だと思ってたんですけど、調べたらわりと主流の説でした。
当時の日本には、ざっくり二つの路線があった。
- 北進論:北のソ連(シベリア)を攻めよう派
- 南進論:南の東南アジアの資源を取りに行こう派
ノモンハンでソ連にボコられたことで、「ソ連つよくね……? 北はやめとこ」と北進論がしぼみ、海軍の南進論が勝つ。その南進の先にあったのが——真珠湾、というわけです。
しかもオマケがあって。日本が「北には来ない」と確定したことで、ソ連は極東に貼り付けてた精鋭部隊を対独戦に回せた。それがモスクワ防衛に効いた、とまで言われてる。極東の国境紛争が、巡り巡ってモスクワを救った。
ソ連史、日本史とクロスオーバーしてて、ここで完全にテンション上がりました。(もちろん真珠湾は石油禁輸とか他の要因もあるので、「ノモンハンが唯一の原因」とまでは言いませんが。知らんけど。)
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本題:風が吹けば大粛清で桶屋が元帥
さて、ジューコフの出世です。
前提として。スターリンは1937〜38年、身内の軍人をめちゃくちゃ粛清しました。
トゥハチェフスキーみたいな経験のある軍の偉い人がごっそり処刑され、上の世代がスッポリ消えた。その"空いた席"を、地方でキャリアを積んでた若手が駆け上がる。ジューコフもそのクチです。彼はモンゴルの辺境にいたおかげで粛清の網を逃れ、ノモンハンの武功で一躍スターに。
時系列にすると、
- 1939年 ノモンハンで日本軍撃破 ← ここでブレイク
- 1941年1月 参謀総長(=軍のトップ) ← 独ソ戦が始まる"前"にもう頂点近く
- 1943年1月 元帥(軍人の最高位) ← スターリングラードの後
……こう並べると、上を粛清で空けた張本人(スターリン)が、その空席に若手を引っ張り上げて自分を救わせてる。
風が吹けば桶屋が儲かる、ならぬ、大粛清が吹けば桶屋が元帥。マンガでもこんな展開なかなかないですよね。超展開。
ソ連史めっちゃ面白い。
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ついでに時系列の整理(自分用メモも兼ねて)
ここ、私も最初ごちゃごちゃになってたので、独ソ戦まわりを整理しておきます。
- 1939年9月 ナチス、ポーランド侵攻(=第二次大戦開戦)
※ここ、私はずっと1938年だと勘違いしてました。1938年はオーストリア併合とかミュンヘン会談の年。開戦は1939年です。 - このあとしばらく、独ソは不可侵条約を結んでいて"味方"だった時期がある(約2年)。ここがミソ。
- 1941年6月 バルバロッサ作戦=ドイツがソ連に襲いかかって独ソ戦スタート。手のひら返し。
- 1942〜43年 スターリングラード攻防戦。
スターリンからしたら、自分の名前を冠した都市を落とされるわけにいかない。
粛清しすぎて人材がいません!てへぺろ★で済む話じゃない。死ぬ気で守って撃退。 そのタイミングでジューコフが元帥に。——出世の"起点"はノモンハン(1939)で、スターリングラードは"戴冠式"のほう、という順番です。
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おまけ:推しと元帥、まさかの同じマンション
ちなみにジューコフ、モスクワのグラノフスキー通り3番地(現・ロマノフ横丁)っていう、党が要人に支給した"億ション級"の超豪華アパートに住んでいたそうです。
で。その同じ建物に、私の推しのM.A.スースロフも住んでる。
1957年、そのスースロフがジューコフを「ボナパルティズム(軍を党から独立させようとしてる/戦勝の手柄を独り占めしてる)だ」と中央委員会でぶった斬って、全役職を剥奪・政治的に無力化した張本人なんです。
弾劾した相手と、同じマンションの住人。
エレベーターで鉢合わせたりとかしないんですかね。
「…おはようございます。ゲオルギー・コンスタンチーノヴィチ」
「…おはよう、ミハイル・アンドレーヴィチ」
「……」
「……」
エレベーター来ない。無言。
やばい、気まずい😂妄想が止まりません。
二人が"真上・真下"だったかまでは裏が取れませんでした。確実なのは「同じ建物」まで。それでも十分すぎますが。
ロシア革命から一人ずつキーマンを追ってると、こういう「地図の端っこの国境紛争」と「日本史」と推しがぜんぶ一本の線で繋がる瞬間があって。面白いですよね。
※この記事はAI(Claude Opus 4.8/ChatGPT 5.5)に「歴史特講」してもらったログを元にしてます。間違ってたら教えてください🙇
つづきます。